平忠度

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たいらのただのり
是什么意思

中文简介

平忠度于天养元年出生于纪伊国的熊野地方,擅和歌,师事于藤原俊成。根据《平家物语》记载,1183年平家撤离京都之时,平忠度独自一人返回京都,求见俊成,将自己所写的和歌百余首交给了他。后来俊成编撰《千载和歌集》的时候,收录了忠度的和歌《故乡之花》一首:「さざなみや 志贺の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな」

日文简介

1144-1184 平安時代後期の武将。
天養元年生まれ。平忠盛の子,平清盛の弟。源平の争乱で富士川の戦い,墨俣(すのまた)川の戦いなどの大将軍のひとり。寿永3年2月7日一ノ谷の戦いで源氏方の岡部忠澄に討たれた。41歳。歌人としてもすぐれ,藤原俊成に師事,歌は「千載和歌集」などにみえる。家集に「平忠度朝臣集」。
【格言など】さざ浪やしがのみやこはあれにしをむかしながらの山ざくらかな(「千載和歌集」)
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