藤原忠通

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ふじわらのただみち
是什么意思

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藤原忠通(ふじわら の ただみち,1097年3月15日-1164年3月13日),日本平安时代公卿。藤原北家出身,摄政藤原忠实长子。官至从一位摄政关白太政大臣,世称法性寺殿、高阳院,法名圆观。

日文简介

1097-1164 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
永長2年閏(うるう)1月29日生まれ。藤原忠実(ただざね)の長男。母は源師子。白河法皇に罷免された父にかわり,関白,摂政,太政大臣を歴任。従一位にいたる。鳥羽(とば)院政で復権した父と権力をあらそい,保元(ほうげん)の乱の一因をつくった。詩歌にすぐれ,書は法性寺(ほっしょうじ)流と称される。長寛2年2月19日死去。68歳。通称は法性寺殿。漢詩集に「法性寺関白御集」,家集に「田多民治(ただみち)集」。
【格言など】わたの原漕ぎ出でて見れば久方の雲居にまがふ沖つ白波(「小倉百人一首」)
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